実地医家のための会「人間の医学」に随想を掲載
2015年10月28日
基礎医学から プライマリ・ケア医としての歩み
私は、大学時代から消化器内科に入局するまでは、院生として主に免疫学の研究をしていた。私の動物舎は、一室丸ごと有り、マウスのBalb/c株、CH3株、AKR株等の種の異なるマウスを飼育していた。私が動物舎に入るなり大きなマウスの鳴き声を聞く。そして慌てて、給水器に水を入れ、パケットを洗って餌を置く。この仕事を 1 週間に 1 度、必ず基礎校舎の最上階の部屋で行った。マウスはオスメスを分けて、必ず、生後何週の物とゲージに記録した。実験は、主としてCH3/Hen株が主であったが他種のマウスも必ず同じ実験をして種特異性があるかを検討した。当時の免疫学のテーマは、抗体産生細胞への分化という基礎テーマがあり、その分化の機構を新しい進化論まで発展させた人が利根川進博士である。私は、分化の過程で増殖株のポリアミン系への関与を検討した学位論文は2 題出来たが、指導医である助教授の研究テーマであるポリアミン系のほうが、学位論文となった。その後、父の下で開業生活をしながらバイトに出た。開業志向はあったが、当時に今我々が言う家族志向ケアや、患者中心ケアという言葉はなかった。開業医は医師会の講習会に参加し、その学業の研鑽が重要であるという認識はあった。
1985年頃から家庭医論が医師会報を賑わすが、医師会員たちは、その家庭医の認定には極めて拒否反応を示した。開業医の本道こそ医師の本道であると父は言っていた。その後私は、介護施設長や特養ホーム等に勤め、介護の知識を得た。2000年 4 月に介護保険法が成立し、介護支援専門員の試験を受けた。その頃から、巷で保健福祉介護及び医療制度と介護制度の連携等の言葉が生まれ地域医療制度の崩壊と医師不足が盛んに言われるようになった。医師になって40年近くになるが、今日のような医療の主人公が変わるという時代。つまり今までは、開業医が日本の医療を引っぱって来た。がここに来てその主人公が総合診療医に変わるという、大きな節目にさしかかっている。大病院を中心としたかかりつけ医による患者さんの紹介に加え、その担い手にこの総合診療医がどのように貢献するかは、今後の課題である。地域医療を、より包括的に、機能分化し、地域包括ケアを推し進める制度において我々プライマリ・ケア医は、どのような位置に置かなければならないのか、その点は議論しても、なかなか行き着かないかもしれない。
私事になるが、介護保険成立後、私の臨床への知識は、大きく広まった。つまり地の利を得たと考えられる。スポット的に二次救急病院にも行き研鑽したいと思うが、プライマリ・ケア医にとって救急医療は盲点であり、より研鑽を深めたい。
実地医家のための会 発行
人間の医学 250号掲載