院長と町医者
2021年01月05日
私の家族は、父が、大阪の堺市の町医者である。
父は、国民皆医保険の成立するため、医師会の連中と、運動を、起こした。
まだ、終戦後まもない時である。
父の姿を見て育った環境で、町医者である良さを、子供ながら、噛み締め、将来、再び、町医者になる。
その夢は、叶えられた。しかし、開業医にとって、診療報酬を、めぐる厚労省との駆け引きは、今も変わらずある。
地域医療を、めぐる、報酬は、色々名前を、変えても、社会的な問題である。
それが、ある、過程を、へた医師の報酬であるならば、さらに、問題も、大きい。
1980年ごろから、プライマリケアという言葉が、注目されて、家庭医制度、が問題視されてきた。
そのいく先が、どこであれ、我々は、それ以上、口を挟むのは、やめておく。
一方、町医者という環境で育ったせいか、その中での生活には、ぴったりはまっている。
しかし、今は、コロナ禍の中で、旅行に行くことや、グルメを堪能することも、ご法度である。
もしこのコロナ禍を切り抜ける、夢ばかり見ている。