第二の故郷与謝野町
2023年01月20日
私は、約16年前、とある、紹介業者の人に、この診療所を、知った。
外来患者数が、見込める、診療所だ、という触れ込みである。
家内と相談して上、この、与謝野町に来ることに、同意した。
思い切った判断であった。
以前、消化器内科の後輩が、開業していたが、そのあと、再び開院した。
その地与謝野町に来てから、この土地にも、慣れ浸しんだ。
由良川の支流の、地に、機織り業を勤しんだ、家家が立ち、周りを、山に、囲まれ、大江山の高台からは、集落が、畑の中に、集まっている。川は、秋になれば、50センチほどの鮭が、4匹5匹と、泳いで、水も、綺麗だ。
学校や、スーパー、郵便局が、あり、時々、織り機の音が聞こえる。
町が経営する、公園は、春になると、桜が綺麗に咲く。山々は、秋になれば、紅葉して、色彩の鮮やかな、季節になって、冬を、迎える。
当クリニックは、すでに、16年目を、迎え、在宅医療を中心に、外来をしながら、このコロナ禍に、発熱外来をしている。往診の傍ら、時間を気にしながら、2時に一旦クリニックに帰り、パソコンの従業員と、メールを、見ながら、再び、往診に出る。
近くの、住民の人に、運転手をしてもらって、近くの、宮津のホテルで、夏、慰安会、天橋立を、見ながら、冬の忘年会、蟹づくし、しばし、休日には、伊根町の港まで、海岸通り沿いに、車を走らせる。
そんな毎日ー金曜日の夜に、堺市の実家に車に乗って帰る。
ふたたび、土曜日の夜、与謝野町に帰り、あくる朝、日曜外来をしている。そんな1週間である。